何か仕事をしているようです。キチンと衣類を着けています。飾りの刺繍のような模様も見えます。
5000年ほど前の絵でしょうが、この頃はもうサハラも熱くなっていたのでしょうか。顔だけ出して頭部は布で覆っています。今のトゥアレグやベドウィンの人々に伝わる被り物です。
腹がポッコリと出ているのは、別に食いすぎという訳ではないでしょう。絵の様子から見て女性のようにも見えます。ズボンにもラインが入り、膝下までの長さです。お洒落なサハラの人たちを、彷彿とさせる壁画です。
女性はパンタロンのような裾の広い足飾りをしています。腕の装飾も強調されています。
この号の表紙は小沢昭一さんでした。
写真と一緒に出てきたものです。
壁画のある山岳地帯へは車では行けません。ロバやラクダで旅をしました。タッシリ・ナジェールへは、往復で1週間の旅です。急な岩山を歩きました。荷物はロバです。イリジーはラクダです。どちらも厳しい砂漠の岩山の中でした。
注・掲載文は後日、ここに出します。
時代が下ると戦車が現れます。地中海沿岸でj実物を見た人がいたのでしょう。その後、馬が現れるようになり、サハラの乾燥は強まって、いつしか人々は山岳地帯から去っていきました。車輪がキチンと描かれています。
山の上に巨大なイトスギがありました。3000年杉とか言っていましたが、緑だった時代の名残でしょう。山全体で11本あると聞きました。 |
サハラ砂漠のど真ん中、ジャネット(タッシリナジェール)やイリジーへ古代の壁画を見ようと旅に出たのは1975年のことです。第1回パリ〜ダカールが開催されたのは1979年ですから、日本人にとってサハラはまだ冒険の時代でもありました。5000年以上前の壁画は車で走り、ラクダやロバの旅で、ようやく対面したのです。懐かしく、楽しく、強く印象に残るものです。
ゆっくり絵を見ていると、太古の世界が意外と豊だったことが推測できます。厳しい生活はあったでしょうが、皆が協力しながらも、それぞれが、自分の力で生きていたのです。
動物は狩りの対象だったり、家畜化されたものだったりします。もしかすると絵が物語りなのかも知れません。
サハラの芸術家たちは、様々な絵を描いています。狩猟、農耕、牛、ラクダなどが時代に沿って現れてきます。
男女が楽しそうに描かれているものもあります。家族で農耕姿も分かります。遠く地中海沿岸で見たのでしょうか、2頭立ての馬車、戦車も描かれています。
古代の人々が意外なほど遠くのことを知っていた証拠でしょう。動物に乗っている姿もあります。この絵はとても平和です。
3人揃ってダンスをしているような感じです。右の背が高い人物は、バンダナみたいなものを頭に巻いています。鉢巻きの原型でしょうか。兄弟なのか、友達なのか、いずれにしても背の違いは分かります。
リズムに乗ってヒョコヒョコと踊っているように見えました。急峻な岩山の奥です。農耕をしていたことははっきりしています。狩猟も描かれています。ギリシャ、ローマは血なまぐさいですが、サハラは平和であったように見えます。
現代にもつながるファッションです。豊かな時代のサハラに住んだ人々が、幸せな生活を送っていた様子が分かります。
下はラクダの放牧でしょう。生活の変化も見られます。
家族が畑仕事をしています。耕し、種をまき、収穫し、右上ではふるい分けているのでしょうか。
サハラを日本製の普通の車で走ることはまだ70年代にはありませんでした。冒険的な旅でしたが、トヨタに頼み込み、コロナを借りることが出来ました。数年後に始まったパリダカール・ラリーの車は特別装備で、強化もしていますが、この旅で使ったコロナは市販車そのものでした。
砂にタイヤが埋まり、動けなくなることもたびたびでした。左の写真の緑の線が、コロナで辿ったルートです。この旅に比べると、初期のパリ〜ダカールなど、たいした問題ではありませんでした。
主催者が地図やロードブックを提供してくれるからです。砂丘越えなどはありますが、助けもいます。1台だけのサハラの旅は、振り返っても大変でした。
水牛の線刻画です。サハラにまだ湿地が広がっていた時代。おそらく8000年ほど前のものでしょう。
イリジーへの旅はラクダです。切り立つ岩山の間を辿ります。車は200戸ほどの集落に駐めました。