◆話題の1   古典などから

☆① 清少納言の裾めくり ☆②老いても盛ん、清少納言 ☆③小野小町
異聞
 ☆④花山天皇即位の日のこと 
☆⑤三井寺の古井戸?



汲み上げは機械で…。

三井寺を訪ねた事がある。古い井戸からは「昔ながらの清水が流れ出している」と言うので、早速清水の流れ出ると言う小屋へ行ってみた。なるほど、ボコッ、ボコッと音がする。ワシャ軽率にも感想を口にした。

「こんな調子で1000年近くもわき出しているのかねー」

っばは小馬鹿にしたような目を向けた。

「自然にわき出す水が、こんなに定期的なリズムだと思うの?」

なるほど、自然の流れと言うよりも、圧力で押し出された音のような気がする。

「何だ、機械かー」
「当たり前ででしょう。大昔から同じリズムで跡が出ているのだったら、それこそ世界の話題よ」

と言う訳で、清水は湧き出しているのだろうが、音の“演出”が行きすぎ?お寺さんもサービス過剰気味じゃなかったかなー。

やり過ぎ?    高御座でコトに

花山院ご即位の日、馬内侍、けん帳の命婦(御帳を上げ下げする係)として進み参る間、天皇、高御座のウチに引き入れしめ給ひ、たちまちに以て配偶す、と云々。

 天皇ご即位の日,あり得ない事が起こった。多くの人は居合わせたが、何もすることが無く、花山院のなすがまま。けん帳の命婦は、36歌仙の一人。この馬内侍は源時明の女で、王賽院選子。しずしずと進み出て、御帳に手を触れるかどうかの瞬間に、高御座の中から手が伸びて女を中へと引き入れた。周囲に人はいたが、素早い動きだったし、何しろ引き入れた人物が花山院ご自身。最高権力者の成される事を声を挙げて制止できる者は誰もいない。

故事談にはそれ以上細かなことはもちろん書かれていないが、”たちまちにして配偶す”とあるので何があったかは明白。しばらくして王賽院選子は乱れた姿で高御座の外へ-。

王が繁栄の象徴であることと相まって、王と性にまつわる話は散見されるが,ここは花山の度を超えた奔放さを伝えている。

こういうことは無機物?でもあるAIに聞いてみるか、でアクセスしたら「平安時代には天皇のお立場が、はっきりしていないところもありました。男女間の問題が、時に語られるのも、そういう時代を反映しているのでしょう」と軽くいなされた。割とドライに説明するのが普段のAIだが、今回に限っては含んだような返答。Aiやるなー。

多くの話題は人々の口から耳、さらに口から…、と伝聞が広がるので、事実でないことも語り継がれ、書物に書き残される事も多い。花山天皇は幾つもの書物に頻繁に登場する。「敗者たちの平安王朝」(角川ソフィア文庫)には、若くして即位し、短い在位の後、上皇、としての長い人生を送っているが、優れた歌人でもあり多くの詩を残している。貴族社会の駆け引きや勢力争いなどの谷間で、いつしか「狂気」「横暴」などの伝聞が生まれ、汚名を着せられ、後代に伝えられる事になった,とする解説もあった

絶世の美女   小町はいずこ

平安朝の物語に“絶世の美女”は数多く登場するが、六歌仙の一人、古今和歌集にも歌を残している小野小町は生まれ、死去ともにその時、場所がはっきりせず、謎に包まれている。それでいて実在は確実視されている不思議な女性です。

有名な秋田音頭でも唄いあげています。

♫ヤートーセー、秋田の女コ 何しに綺麗だと 聞くだけ野暮だんす
小野小町の生まれ在所をおめはん知らねのけ

と言うことでもてはやされた女流歌人でありました。

一方,美女の登場となるとこの時代、必ず登場登場するのが業平です。
宮廷に仕える二条の后を”盗み”逃げた業平を兄弟が追いかけて取り戻すが、貴族として切られてはならない髻を切り取られた。髻が戻るまで業平は関東、東北へと旅する。この東北で業平は小町の意外な姿に出会うのです。

奥州八十島に宿をとった時、野中に和歌の上の句を詠ずる声があった。

♪秋風の吹く般毎(たびごと)に穴目穴目」

求めても人はなし。ただ一つのl髑髏があって、髑髏の目の穴からススキが生え出ている。風が吹くたびに薄のなびくおとが聞こえる。

穴から出た薄の音、穴目、穴目と聞こえたのだった。ある者いわく。
「小野小町、この国に下向し、ここで逝去す。くだんの髑髏なり」
ここに業平愛隣をたれ下の句をつけて曰く。

「小野とはいわじ、薄、はえける」
 
 
清少納言の裾めくり


絵でみる百人一首と枕草子 嵯峨嵐山文華館-1

「おい、小僧。逃がしはせんぞ」
清少納言が滞在している兄弟の家を貴族社会での恨みを持ったグループが襲う。襲われたのは藤原道長一族に仕える実力派の藤原保昌の郎党、清監、淸原致信(かねのぶ)。ともに清少納言の兄は、この襲撃を受けて命を落とす。

僧形をしていた清少納言は、咄嗟に「男と間違えられた」と気づく。気丈にも抜き身を持つ襲撃者に向かって

「私は女じゃ」

言い放つと共に、僧形の裾の前を大きく跳ね上げた。下着と言えば当時は腰巻き。下半身がそっくりと現れた。もちろん一物はなし。

「女か、去れ!」

(宇治拾遺物語には説明があった。)

致信の邸にいた尼僧姿の清少納言が僧侶姿の男と間違われ、殺されそうになったので迷うことなく裾をまくって女だと示した、と言う逸話が古事談に見える。

古事談にはこうある。

   清少納言、開を出すこと
頼光朝臣、四天王らを遣はし、清監(せいげん=致信も同時)を討たしむるとき、清少納言、同宿にありけるが、法師に似るにより、これを殺さんと欲する間、尼たる由いひえんとて、たちまち開(つび)をだす。

女であることをどう説明するのか。それより“見せてしまう”のがわかりやすく,手っ取り早いと言う、咄嗟の判断がなければ、枕草子は完成していなかったろう。

 
② 老いても意気盛ん
その後の清少納言




古事談には一条天皇の中宮定子に仕え、その後没落した様子が書かれているが、ある日、清少納言の家の前を若い殿上人が大勢牛車に乗って通り掛かった。家の塀が崩れ、建物も壊れかけているのをみて「少納言も落ちぶれたなー」と話し合っているのを聞いて、道行人などを眺める桟敷にいた清少納言は、簾を掻き上げ、怖い顔をして言い放った。

「駿馬の骨は買わなかったかな」

逸材を集めようとする燕王に郭隗(王のアドバイザー)が名馬が欲しいなら、死馬の骨を買うように。と説いた古事。

ちょっと面倒な比喩だが、清少納言はこう示唆している。

「優れた物は骨になっても大切にする.。優れた女性は老婆になっても尊敬する。そういう心がけがないと,あんた達偉くなれないよ」

落ちぶれてもめげることのない“老いの一徹”。殺されかけても、前をまくって「あたしは女だよ」と言い放つ、若い頃の気合いを持ち続ける,凄い婆さんになっていいる。