1675年佐賀鍋島藩は藩窯を有田から大川内山へと移し、より優れた技法により、より高い品質の保持と推進に努めた。そしてこうした高品質な技法は門外不出、他に漏れないようにと、険しい山に囲まれた地形を利用し、入り口には関所までを設け、高い技術を持った職人たちを厳重な監視下に置いた。
この藩窯職人たちによって、白磁の素地に赤、緑、黄の3色を基調とした上絵で描かれた「色鍋島」、藍色一色で描かれた磁器「鍋島染付」、光沢のある青翠色「鍋島青磁」と3つの系統の焼物が生み出された。
しかし、ここで焼かれた磁器は一般には出回ることがなく、朝廷や幕府、諸大名への献上品として利用された。廃藩後も、この地区では御用窯の伝統技法を受け継いだ窯元が30軒ほどあり、伊万里焼として生産されている。
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