焼物の町・伊万里

ドライブライン

山間に寄り添う伊万里の里江戸時代、有田や伊万里周辺で焼かれた磁器は、伊万里港から日本各地はもとより、遠くユーロッパまで運ばれた。伊万里焼というものはなく、有田焼も伊万里焼でも船積みされた伊万里港の名から「伊万里焼」といわれていた。今では江戸時代の伊万里産を「古伊万里」といい、現在は、伊万里焼といえば伊万里産の磁器のことをいう。その代表が「伊万里鍋島焼」だ。
昔、鍋島藩の御用窯で有田の民窯から優秀な技術を持った陶工を集め、その技法を秘密とし、漏出を厳しく制限するため、険しい山に囲まれた大川内山に窯を開いた。
焼物に興味を持つ人は多く、深い知識を持つ人も大勢いる。素人がいろいろうんちくを語るより、伊万里とは、どんな町なのか、出合った人の話や写真で紹介したい。

サムネイル1

サムネイル2

サムネイル3

サムネイル4

サムネイル5

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伊万里市内

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伊万里市

佐賀県の西部、伊万里川と有田川に挟まれ、市街は2つの川が合流、海に注ぐ河口付近に位置する、人口約6万弱の町である。かつて磁器を船積みした港周辺には工業団地の整備がすすめられている。

 

昔の面影を残す伊万里の裏町
昔の面影を残す伊万里の裏町

JR筑肥線の終点伊万里駅からメインロードの「駅通り」を北へ辿ると伊万里川だ。この駅通りの交差点や伊万里川にかかる橋の欄干には、丸みをもった大きな壺(伊万里色絵楼閣山水文大壺)や古伊万里人形、中国風人形などが飾られている。
また、川沿いにある佐賀銀行の壁には伊万里焼きでできたからくり時計もあり、焼物の町をアピールしている。

市の郊外は、緩やかな丘陵地帯で、米や果物が栽培されるのどかな風景が広がる中に、古窯跡が点在する。昔ながらの焼物の郷であることが偲ばれる。

 

中国風の陶製人形
中国風の陶製人形

伊万里津を描いたからくり時計
伊万里津を描いたからくり時計

 

海を渡ってきた異人さん
海を渡ってきた異人さん

古伊万里を外国へ運んだ外国船も
古伊万里を外国へ運んだ外国船も

 

相生橋には古伊万里風の壺
相生橋には古伊万里風の壺

カラフルな異国の鳥も橋に登場
カラフルな異国の鳥も橋に登場

 

国道2号の橋にも飾りの人形
国道2号の橋にも飾りの人形

夜の町でも焼物の人形がお出迎え
夜の町でも焼物の人形がお出迎え


海のシルクロード館と陶器商家資料館

江戸時代の末(1820年代)に建造された白壁土蔵造りの陶器商家を復元し整備したものが「海のシルクロード館」だ。内部には、肥前窯で生産された陶磁器や、ろくろ・絵付けが体験ができるコーナーの他、市民が所蔵する古伊万里や千石船の模型などが展示されている。
/問い合わせ TEL 0955-23-1189

 

一方、「陶器商家資料館」は同じ江戸後期に建てられた犬塚家で、伊万里津(港)で屈指の陶器商だった商家だが、昭和63年(1988)市に遺贈された。内部は古伊万里や大正時代の伊万里川周辺の写真などがある。両家は隣り合っている。
/問い合わせ TEL 0955-22-7934

 

旧犬塚家の表示
旧犬塚家の表示

かつて焼物が送り出された伊万里津跡
かつて焼物が送り出された伊万里津跡


伊万里神社

伊万里川を見下ろす高台に鎮座。急な石段を登る。主祭神は橘諸兄で社を守る狛犬は天保11年(1840)作だ。伊万里神社の境内にある「菓祖中嶋神社」はお菓子の神様として知られている。その昔、垂仁天皇の命を受けて常国より不老長寿の木の実を持ち帰り、伊万里の地に最初に植えた田道間守命(たじまもりのみこと)が祀られている。その木の実とは「橘」の実で、柑橘の原生種といわれている。
橘の実が直接お菓子というわけではないのかも知れない。伊万里は現在の「森永製菓」の創立者である森永太一郎氏の生誕地でもある。「中嶋神社」の裏には森永太一郎氏の胸像があり、社の脇には橘の木が植えられている。

 

伊万里神社(香橘神社、中嶋神社も同居)
伊万里神社
(香橘神社、中嶋神社も同居)

伊万里神社
伊万里神社

 

森永太一郎氏は、慶応元年(1865)伊万里の商家に生まれたが6歳で父を亡くし、家は没落、母は再婚、そして親戚の間を転々とする恵まれない少年期を過ごした。
その後、横浜で陶磁器販売の商売をするが失敗して、アメリカに渡った。二度目の渡米から12年間、洋菓子の製造技術を学んで帰国。東京の赤坂で洋菓子製造業を開業、明治38年(1905)に「エンゼルマーク」を商標登録し、今日に至っている。

菓子の神様、中嶋神社。傍には森永
菓子の神様、中嶋神社。傍には森永


大川内山(秘窯の里)

1675年佐賀鍋島藩は藩窯を有田から大川内山へと移し、より優れた技法により、より高い品質の保持と推進に努めた。そしてこうした高品質な技法は門外不出、他に漏れないようにと、険しい山に囲まれた地形を利用し、入り口には関所までを設け、高い技術を持った職人たちを厳重な監視下に置いた。
この藩窯職人たちによって、白磁の素地に赤、緑、黄の3色を基調とした上絵で描かれた「色鍋島」、藍色一色で描かれた磁器「鍋島染付」、光沢のある青翠色「鍋島青磁」と3つの系統の焼物が生み出された。
しかし、ここで焼かれた磁器は一般には出回ることがなく、朝廷や幕府、諸大名への献上品として利用された。廃藩後も、この地区では御用窯の伝統技法を受け継いだ窯元が30軒ほどあり、伊万里焼として生産されている。

 

伊万里市の中心部から県道251号線を南へ約2km。墨で描かれた山水画のような岩山に囲まれた谷あいに大川内山の集落がある。
大川内への入り口には関所跡がある。「陶工橋」という公園に通ずる新しい橋があり、周辺には当時、陶石を水の力で砕いたという大型の唐臼が復元されていたり、磁器の釣鐘が人を感知して鳴ったりする「めおとしの塔」などがある。磁器の音色は日本の音百選の一つに数えられ、一帯が憩いの場となっている。

岩山、坂道と窯元の煙突
岩山、坂道と窯元の煙突

 

近くには、陶工たちを厳しく監視した関所が復元されている。少し上ると右手には大駐車場がある。これより徒歩だ。
窯元群の中を伊万里川と権現川が流れ、この2つの川が合流し伊万里川となって流れるところには欄干に色鍋島の壺を乗せた「鍋島藩窯橋」がある。橋の両側面には龍と鳳凰の陶板で飾られている。

 

欄干の壺には唐獅子と三味線を弾く女
欄干の壺には唐獅子と三味線を弾く女

焼物で橋に描かれた竜
焼物で橋に描かれた竜
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窯元群

どんご岩、屏風岩などと名付けられた山に向かって、窯元が建ち並ぶ。石畳の小道に各窯元独自の作品を紹介するコーナーや焼物を店内いっぱいに並べた直販店が続く。通りには昔ながらの木造建築の家も少なくなく、煉瓦造りの煙突がいかにも窯元の町の雰囲気を漂わせている。伝統的な形での鍋島伊万里の白磁や染め付けから現代風の作品までが店先のウィンドウを飾る。
あれこれ品定めしたりしながらの散策を楽しんでいるうちに、窯元に大量のプロパンガスボンベを見つけた。早速、ある窯元で人に尋ねると「昔ながらの薪で焼く登り窯を使うところはほとんどないよ。電気かプロパンだね。登り窯は難しく、歩留まりが少ないからね。それに採算が合わないよ」ということだった。もちろんすべてではなく、昔ながらの窯で芸術的作品を生み出す窯元もある。

 

伊万里の里の窯元の店
伊万里の里の窯元の店

皿や器。見ていて飽きない
皿や器。見ていて飽きない

 

ふと入ってみたくなる店
ふと入ってみたくなる店

店頭の花器
店頭の花器


鍋島藩窯公園


山間に寄り添う伊万里の里
山間に寄り添う伊万里の里

窯元街を見下ろす東斜面には、江戸時代の「お経石窯跡」という古窯跡や焼物の破片などで作られた現代アートやオブジェが飾られた遊歩道や、焼物の行程を再現し展示する陶工の家などがあり、山の上には展望台もある。
ここからは煙突のある窯元街が一望できる。


鍋島金仙窯

中国から陶工として日本へ来て、この大川内山の初期に窯を開いたという鍋島金仙窯の主は74歳、15代目の鍋島伊万里焼き職人と自負されている。
華やかな窯元が建ち並ぶ街並から少しはずれた、広い敷地を持つ窯元だ。
鍋島藩の秘密の窯として作られた伊万里は赤絵や染め付けのような華やいだものではなく、地味なモスグリーンに罅(ひび)の入った「青磁罅焼き」だったという。そして「この場所こそ藩の御用窯としての、登り窯が作られたところ」と主はいう。確かに長い間使い込んだと思われる登り窯そのものが、まるで焼物のように固く黒光りしている。

金仙窯
金仙窯

 

伊万里の登り窯
伊万里の登り窯

鍋島窯
鍋島窯

 

今も、手回しの蹴轆轤(けろくろ)で1300度の高温で焼いた「青磁罅焼き」の作品がむき出しの棚に、ところ狭しと並べられている。100万円単位の値段のついた茶碗や壺などもかなり無造作に置かれている。
鍋島藩の末裔が昭和天皇に献上したものと同じだという茶碗を「手に取って見てごらん」という。恐る恐る手にすると、モスグリーンに見えていた茶碗は、光を映して濃いヒスイ色に輝き、高温で出来るという赤色が炎のように浮かんでいた。
この「青磁罅焼き」は注がれた水、茶、酒などの風味を変え、毒を消すもので、藩主鍋島家のためだけに焼かれたものだという。

 

昭和天皇に献上したものと同じ青磁
昭和天皇に献上したものと同じ青磁

400万円の青磁
400万円の青磁

 

偶然に見つけた窯元だが、パンフレットやガイドブックなどでは全く紹介されていない。
もう一度、鍋島金仙窯を訪ね、主に鍋島伊万里焼きの今昔話をじっくり訊ねたいと思う。