夏の南九州(2)

薩摩半島(鹿児島・指宿・枕崎)をまわる

鹿児島は明治維新前後に活躍した多くの偉人たちを輩出したところ。西郷隆盛をはじめ大久保利通、東郷平八郎な

どを生んだ土地でもある。ビルが立ち並び市電が走る市内にもこの偉人たちの生誕地から墓地まで、波乱の歴史を

きざんだ地には博物館やそれぞれの碑などが建つ。また、桜島を背に薩摩半島を南下すれば温泉の町指宿や一時期

は恐竜が棲むと話題になった池田湖、そして最南端には開聞岳を正面に見る。薩摩藩のみどころや江戸時代の密港

、坊津、海岸線の美しい吹き上げ浜とドライブは続く。

 

 

 

 

 


<コース>

鹿児島−知覧−指宿−池田湖−開聞町−枕崎−坊津−鹿児島. 全コース約800km、6泊7日




鹿島市

JR西鹿児島駅から甲突川を渡って港へ向かう市電通りを中心に広がる繁華街周辺には島津藩をはじめ、西郷隆盛など

近代歴史の表舞台を歩いた人々にまつわる史跡が数多く残されている。ゆっくり観てまわると一日は必要だ。


甲突川にかかる高見橋の袂には大久保利通の像が立つ。ここ加治屋町は大久保利通、西郷隆盛、東郷平八郎らの生誕地


川沿いには平成6年にオープンした「維新ふるさと館」

がある。薩摩藩の歴史から観光情報コーナーまである。

いまはなくなりつつある鹿児島弁を紹介するコーナーもあり、ちょっと難解な言葉をじっくり味わって

みるのも面白い。


○城山展望台



市内のほほ中央にある標高107mの山。頂上の展望台からは鹿児島市と錦江湾、その向こうに桜島の

堂々たる雄姿を望む。駐車場から徒歩約10分。夜景もきれいだ。

かつて城山は西南戦争で西郷方の砦であり、激戦地でもあったところ。




城山の東にある間口3m、奥行き4mほどの小さな洞窟がある。西郷隆盛が自決するまでの最後の5日間を過ごしたところだ。




この洞窟を出た西郷隆盛は岩崎谷に降りる途中、下半身に弾丸を受け、別府晋介の介錯(かいしゃく)で自決した。

○南洲墓地と西郷南洲顕彰館

JR鹿児島駅近くの桜島を望む小高い丘の上に数多くの墓石の並ぶ墓地がある。西郷隆盛をはじめ西南戦争で


戦死した2,023名が葬られている。中央にあるひときわ大きな墓石が西郷隆盛の墓で、その墓石を囲むように桐野利秋、

 篠原国幹たちの749の墓石が並ぶ。



墓地の敷地脇には西郷隆盛没後100年を記念して昭和53年に建てられた顕彰館がある。

人形を使って表現されているのが興味深い。ジオラマのほかビデオでも再現し紹介している。

西郷隆盛の生い立ちや思想から、当時の様子を伝える写真や遺品などが展示されている。中でも西南戦争の


激戦の模様が小さな小さな人形を使って表現されているのが興味深い。

ジオラマのほかビデオでも再現し紹介している。


/入館料 100円、TEL 0992-47-1100

○鶴丸城跡



島津家18代家久が慶長7年(1602)に築城し、29代忠義まで島津家の居城であった

何度もの火災と西南戦争で焼失、現在は石垣と堀が残るだけ。

城構えが鶴の形に似ていることからその名も“鶴丸城”と呼ばれたが、もともと天守閣もない質素な城で


鶴のような優雅さには欠けていたという。

堀にはいっぱいに蓮が植えられている。見事な蓮の花が埋めていた。


○黎明館

鶴丸城跡内の中にる鹿児島県歴史センター。

鹿児島の太古から現代までを4つの時代コーナーに分けてジオラマやスクリーンなどで紹介している。


鹿児島の自然や歴史、民俗さらに美術、工芸などを展示、解説もしている。


○ザビエル上陸記念碑



日本初のキリスト教伝道者で、天文18年(1547)布教のために鹿児島に上陸したザビエルの記念碑だ。

当時の薩摩藩主であった島津貴久よりキリスト教布教の許可はとっていたが、仏教の反対で失敗。

10ヶ月の滞在の後各地を転々とし 欧州へ帰る途中アジアで熱病に倒れた。

市の中心部にはザビエル滞在記念碑もある。


●知覧町武家屋敷群



鹿児島市から指宿スカイラインを走ること約20km。知覧ICを出て標識に従い

4kmほどいくと「武家屋敷」の入り口に着く。

駐車場があり、ここからは徒歩だ。県道から少し入った中に武家屋敷群がある


薩摩は鶴丸城を内城に、領内に113の外城を造った。外城といっても在郷武士の集落で防衛の役を果たしていた。

知覧もその一つで、約240年前の石垣や緑の生け垣に囲われた屋敷群で徒歩10分ほどの通りに並ぶ。



庭園のような町並は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。また
日本の道100選にも選ばれている。

現在でもほとんどの屋敷が住居として使われているので屋敷内を見学はできない。

ただし、屋敷を茶房やレストラン、土産屋に改造し、屋敷の一部や庭園を公開している家も多い。


●特攻平和会館



昭和17年、太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校。少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官が操縦訓練をしていた。

のち昭和20年に特攻基地となり1,036人の若い命が飛び立っていった。


陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録など貴重な資料を収集・保存・展示して当時の真情を後世に正しく伝えて平和を祈

うというもの。
現在の会館は昭和60年に建てられた
.


●指宿温泉



九州を代表する温泉の一つ。昔ほどではないにしても、湯量が豊富で市内に400〜500もの源泉から湯がわき出ている。

名物は「砂むし。いくつかのホテルにもあるが、海辺の天然蒸し風呂が楽しめるのは、市営の「砂むし会館」だ。

浜辺の砂そのものが熱く、砂むし用に作られたところではスコップで浴衣姿の全身に熱い砂をかけてくれる。

会館内には大浴場、気泡浴、ボディシャワー、サウナなどもある。また展望休憩所もある。

●開聞岳周辺

指宿・池田湖・開聞岳一帯は春が早く夏の長い南国の気候だ。



薩摩富士と呼ばれる
開聞岳は、標高922mとそれほど高い山ではないが、円錐に近い独立峰のため、この山が眺められる範囲は広い。

裾野一帯は公園が多く栽培されているとはいえ、亜熱帯植物も間近に親しめる南国ムードいっぱいのところである。

指宿温泉から国道226号線から薩摩半島最南端の岬「長崎鼻」へ回ると開聞岳の眺めが美しく晴れた日には種子島や屋久島も望める灯台へ。

この岬の付け根部分にある
「フラワーパークかごしま」は、世界中の亜熱帯植物を,400種類、おおよそ40万本も集めた日本最大級の花の公園だ。

また、開聞岳の麓には、世界各地から集められてサボテンをはじめ熱帯・亜熱帯の植物が栽培されているほか、


裾野に広がる自然公園には、日本馬の原種といわれるトカラ馬が放牧されている。



さらに開聞岳西山麓の海辺にある花瀬公園には兵士の像と“生死の門”の彫刻が立ち、その野には黄色いコスモスに似た

“特攻花”が咲いていた。

この花は兵士の服などについてきた種が花を咲かせた熱帯の花だという

●池田湖

開聞岳の噴火によってできたカルデラ湖だ。周囲は19km、水深は233mと深い

この九州最大の湖には「恐竜では?」という正体不明の巨大な生物が棲み、その名も“イッシー”と呼ばれ一時期大騒

ぎになったことがある。いつしか話題も下火、湖畔にかかげられた“イッシー”の想像模型もまんじゅうも現在は影が薄い。



池田湖にはワカサギ、コイ、フナなどのほかに胴回りが50cm、長さがなんと1.5m以上もある大ウナギが棲息しており、この大ウナギが“イッシー”ではなかったかという説さえあ

るほどだ。湖のウナギは天然記念物で捕獲はできないが、湖畔のレストハウスや貸しボート屋で観ることができる。

客寄せパンダならぬ大ウナギだ。

湖畔には色とりどりの花が植えられ、開聞岳の雄姿とともに誰もが絵はがきのような写真が撮れる。

池田湖にはワカサギ、コイ、フナなどのほかに胴回りが50cm、長さがなんと1.5m以上もある大ウナギが棲息しており、この大ウナギが“イッシー”ではなかったかという説さえあるほど。

湖のウナギは天然記念物で捕獲はできないが、湖畔のレストハウスや貸しボート屋で観ることができる。客寄せ大ウナギだ。

湖畔には色とりどりの花が植えられ、開聞岳の雄姿とともに誰もが絵はがきのような写真が撮れる。

●枕崎方面へ



開聞岳から枕崎までは国道226号線は海岸通りを走る。

途中、開聞岳の全容を松の枝越しに眺められる絶好のビューポイントがある。このルートの海岸は岩礁とわずかな砂浜

だがゆったりとした海辺の風景を楽しみながらのドライブだ。


枕崎港はカツオの水揚げ日本一。カツオの町ともいえる
枕崎

は市のキャッチフレーズも「太陽とカツオの町」で港にはカツオ漁船がいっぱいに停泊している。

 

 

近くにはカツオに関するものが展示され、カツオ料理やカツオ加工品が買える産業振興センター、さらにはカツオ

が主役の「お魚センター」があり、中央の高さ6m、直径3.5mの丸い水槽は、

 

まるで水族館のようにカツオが泳ぎ回っている。


中には10軒ほどの魚店があるが、鮮魚は時期のもの。問い合わせてから寄ってみよう。


港ではカツオの一本釣りの体験講習会が開かれていた。


枕崎市の火之神公園は、東シナ海に張り出した岬の先端にある自然公園で、晴れた日には遠く黒島や硫黄島まで見え

 

るという。こ子供たちが海風に吹かれながらはしゃいでいた。公園内には吹かれながらはしゃいでいた。公園内には

 

キャンプ場もオープンし、大きな駐車場もある。


この公園の沖合に尖ったの日はあいにくの曇り空だったが小さな入り江には市営のプールがあり、
立神岩

がある。古くから漁民たちの漁業繁栄の守り神であった岩とともに岩礁の風景に、しばし眺め入る。

●坊津

リアス式海岸の深い5つの入り江にある
坊津は細長い町だ。

 
かつては遣唐使船の寄港地でもあったばかりか古くから海外貿易で繁栄した港でもあった。

 

そして鎖国以降密貿易の基地として歴史の裏舞台で活躍した港町である。


最初に坊津町歴史資料館を訪ねてみよう。かなり古ぼけた建物だが、数多い展示品は坊津の長い歴史を語る。

   
町の中心部は坊浦・泊浦の入り江に面している。十数年前に訪れたときは、狭い坂道に板塀の屋敷や木造の家並が
 

 

古い石畳とともに残っていたが、すでに時代は変わり石畳をほんのわずかにのこしただけで

 

民家のほとんども立て替えられていた。


かつての繁栄を物語る一乗院跡がある。583年、百済の僧日羅によって仏教寺が開かれた寺の跡が坊泊小学校の校庭脇にある。いまは上人の墓と仁王像が

 

わずかにのこるだけだが、末寺は坊津だけでも18を数えていたそうだ。


坊津町の北はずれ、秋目湾を望む高台に中国の高僧
鑑真の記念館がある。天平勝宝 

5年(753)聖武天皇招きを受け、危険な航海を6回も試みた末やっとたどり着いたところがここ。上陸記念碑もある。


●吹上浜



薩摩半島の西海岸、加世田市から串木野市に向かって全長約60kmにも及ぶ砂浜と砂丘。とくに美しい砂丘をみせて

 

くれるのは加世田市から吹上町の間だ。


 この間には児童遊園やオートキャンプ場、吹上浜に続く遊歩道などの設備のある
「吹上浜海浜公園」となっている。


20〜30年ほど前までは鬱そうとした松林が続く海岸線だったが、松喰い虫の被害などにより多くの松は姿を消した。


吹上浜ではちょうど地引き網を曳いているところに出会った。ただし、町と地元の漁師が観光で地引き網体験を催して


いる

この日はアジを中心にかなりの収穫があり参加者はどの顔も満足げだった

 。
問い合わせ/吹上町観光協会 TEL 0992-96-2111

ここから鹿児島市までは県道22号線で約20kmだ。帰路、吹上温泉で汗を流していくのもよい。数件の旅館もあるが

 

“吹上の湯”は休憩所と食堂があり一日のんびりできる。