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群馬県吾妻中之条から沼田、片品村、日光を経て宇都宮までの約150km、中之条から四万、沢渡温泉往復を加えて
200km
余りのコースである。
かつての交通の要であった中之条から、草津温泉と並んで群馬県では名高い四万温泉や、いまに残る養蚕農家、
民話の路を
辿りながら沼田市へと下る。
国道17号線を越え、農業の盛んな川場村を通り抜ける。片品村は尾瀬への道と分かれ国道120号線金精峠へと
上る。男体山、
中禅寺湖と日光国立公園の景観を眺めながらいろは坂を下り、長い杉並木を走り抜けて宇都宮へのドライブだ。
     

<コース>
渋川−(国道353号線)−中之条−沢渡温泉・四万温泉往復−中之条−(国道145号線)−高山村−沼田−(国道120号線)
−日光
国立公園−今市−(国道119号線)−宇都宮
行程約200km

●中之条町歴史民俗資料館
渋川より約25km、草津温泉への道の途中にあり、吾妻側沿いの開けた場所にある。昔から交通の要衝であった。残念ながら
現在は、それらの歴史遺産は少ないが、古い神社仏閣など、かつての跡を残す町である。
町のほぼ中央にある資料館の建物は、明治18年(1889)に開校された旧吾妻第三小学校校舎の保存修理を行い昭和57年(1982)
、生まれ変わったもの。
西洋風の白壁は明治時代の洋風学校そのままで、内部には原始から近世までの資料が約6,000点も集められ展示されている。
1階は当時の教室のまま、明治から戦後のころまで使われた机や椅子、教科書教材などが展示され、見学者の中には懐かしく思
い出される人も多いようだ。見学者が少ないときには、館長自ら案内してくれることもある。
渋川より約25km、草津温泉への道の途中にあり、吾妻側沿いの開けた場所にある。昔から交通の要衝であった。残念ながら
現在は、それらの歴史遺産は少ないが、古い神社仏閣など、かつての跡を残す町である。 町のほぼ中央にある資料館の建物は、明治18年(1889)に開校された旧吾妻第三小学校校舎の保存修理を行い昭和57年(1982)
、生まれ変わったもの。 西洋風の白壁は明治時代の洋風学校そのままで、内部には原始から近世までの資料が約6,000点も集められ展示されている。
1階は当時の教室のまま、明治から戦後のころまで使われた机や椅子、教科書教材などが展示され、見学者の中には懐かしく思
い出される人も多いようだ。見学者が少ないときには、館長自ら案内してくれることもある。

資料館になっている旧・吾妻第三小学校
●中之条町の遺産
町の中心部にある「道路元標」は大正8年(1919)に道路法が定められ、各市町村に一つ建てることとされた。ここを起点とし
て各市町村との距離を測った。 当時、群馬県には206の町村があったが、現在残されているものは40基前後と聞く。中之条町道路元標も残った一つ。幅25cm、
高さ30cmと意外に小さいものだ。

中之条の道路元標
●町田家住宅

昔の宿の風情を残す「白井屋」。いまは営業していない町田家。江戸末期の建物
町の中を走る国道に沿って建つ。江戸時代末期の建物で、文化年間には総代の役職にも就いた町屈指の旧家。 一方、白井屋は、簡易裁判所前にある客室5部屋の旅館。明治初め中之条は町役場、税務署、裁判所、登記所などが
置かれる
官庁街となり,隣の町村から訪れる人々を泊めた。通りに面した格子戸や「旅人宿」が当時の宿の面影をのこす。
どちらも何
も目印も看板もな
いので、興味のある人は町のひとに尋ねるとよい
●富沢住宅

富沢住宅。大型養蚕農家
町の中心部から北へ約15km、中之条市はずれの大道にある住宅。この地方の名主を勤めた旧家で江戸末期の建築。
構造は、木造2階建て、
葺き、入母屋造りの大型民家。建築の様式は養蚕農家で2階は養蚕に使われた。1階の半分を占める土間には4頭もの馬が飼
えるようになっ
ている。馬を使った運送業も営んでいたという。 大道は、金井宿(渋川)と須川宿(新治村)を結ぶ三国街道の脇往還であった。 吾妻川の増水などで本道が通れない時は、越後の米や味噌などを運ぶ人たちが、この富沢家の前を通過した。国指定重要
文化財だ。
●囀石(しゃべりいし)

落雷にも負けずモミの巨木
富沢住宅のある大道の隣に「しゃべり石」という珍しい地名の村がある。樹高37mというモミの巨木で知られているが、
落雷の火災により、幹の中は空洞となってしまった。
しかし、樹勢は旺盛で南北18mもの枝を伸ばしている。「東の横綱」ともいわれるモミの木から100mほど下ったところに
「囀石」という
巨岩がある。この地方には「吾妻七ツ石」の民話があり、囀石もその一つ。
「その昔、この巨岩は、いまの倍もある大きさだった。この岩は敵討ちの旅をする人に、敵の居場所を教えたり、
若い女性をからかったりと、とてもうるさかった。そこで侍が刀で2つに切った。2つになった石の一方は山を越え数キロ
南の塩平村に飛んだ。悪いことに飛んだ石は口のある方だったので、ここでもうるさくしゃべり悪さをした」という。

しゃべり石。祠が上にある。 しゃべり石の片割れ?といわれる「割れ石」(塩平)
面白い話だったので、口のある片割れ石を探そうと塩平へと走った。畑仕事をしていた老人に尋ねると、こちらでは
「割れ石」というのだと教えてくれた。
●沢渡温泉と四万温泉

沢渡温泉は暮坂峠
を越えて草津に通じる要路であり、酸性の強い草津温泉で養生した人が、帰りに立ち寄ることが多かったという。有含硫化
水素泉の
無色透明の柔らかい湯として「草津の仕上げ湯」といわれていた。 古くは木曽義仲、源頼朝から以後、武士だけでなく高野長英(蘭学者)、文学者・歌人の若山牧水ら多くの文人墨客にも愛
された歴史ある温泉だ。

積善館は四万温泉の名物でもある
四万の甌穴。水が深い穴を 岩に穿っている
四万(しま)温泉は草津、伊香保とともに上毛三名湯に数えられる温泉。「四万、よんまんの病に効く」といわれ、
鎌倉時代から知られた温泉である。
上信越国立公園の中にあり、三方を山に囲まれた海抜700mの位置にある。
元禄4年(1691)に湯小屋を建てたのがはじまりという積善館は昭和5年(1930)3階建て、前身・2階建ての山荘は昭和
11年に建てられた。1階の浴場は、大正ロマネスク様式のアーチ形の窓を備えている。(国登録有形文化財)
四万川の奥、日向見温泉
にある「薬師堂」はなかなか治らない病気を治し、苦しみから救ってくれると信じられている薬師瑠璃光如来が
安置されている。(国指定重要文化財
四万温泉の奥、日向見薬師堂は国指定の重文 中山三島神社の杉並木(高山村)
●川場田園プラザ

ブルーベリー
沼田市街をパスして川場村へ。武尊山を背景に田園地帯が広がる村は、いま脚光を浴びている。県道64号線沿いの
「川場田園プラザ」は関東では人気ランキングトップ、4年連続を記録している「道の駅」なのである。「道の駅」
は誰でも自由に安心立ち寄れる休憩所だ。(最近はキャンピングカーが宿泊地として長時間駐車するため、
問題にされはじめた)。ただ、トイレや売店だけだった「道の駅」も、人々の価値観の多様化により、それぞれ
個性的で面白い空間を演出するようになってきた。
平成10年に完成したという田園プラザは、面積5ヘクタールの敷地に地元農産物を扱うファマーズマーケットをはじめ、
ビール工房、ブルーベリーを無料で食べ放題という期間もある。ゆったりしたスペースや、公園のような雰囲気が人気の
ミート工房などそれぞれ独立した建物で、こだわりの特産物を作っている。その他、レストラン、そば処もあり、
敷地内に植えられた秘密かもしれない。
●吹割の滝
岩盤が大きく割れ、周囲から水が落ち込む吹割の滝 吹割の滝全景
片品川の中流域吹割渓谷にある。国道沿いに駐車場やみやげ物店があり、そこから100段近い階段を下る。幅約30m、
高さ約7mの滝だが、見上げるのではなく、の落ちる滝を覗くのだ。V字型に浸食された岩の割れ目に川の水が
吸い込まれるように流れちていく。
国の天然記念物に指定されている。手摺りも柵もないので水際には近づかないこと。

品村には国の重要無形民族文化財の 片品村のモロコシ街道。
「猿追い祭り」がある
●丸沼高原と日光白根山
日光白根山(標高2,578m)は奥白根を中心に前白根、五色山、など外輪山を有する活火山で、昭和27年が最後の噴火
である。 丸沼高原から奥白根山頂付近までロープウェイがある。ロープウェイ終点には「天空の足湯」(無料)がある。この
2,000m山頂付近までの日光白根ロープウェイは片道15分、
ロープウェイから見る日光白根山 ロープウェイ終点の足湯
●日光国立公園

日光白根山登山口の二荒山神社 男体山(二荒山)登山口。山がご神体
古くから信仰の山として名高い男体山(標高2,484m)の山麓に広がる高原、湖沼や壮大な瀑布、そして渓谷の自然景観は、
四季それぞれの彩りを添え、訪れる人に感動を与えてくれる。 また、世界遺産にも登録された東照宮、輪王寺
をはじめ、数々の神社仏閣や歴史建造物もある。「日光を見なければ結構とはいわない」といわれるほど日本屈指の観光地なのである。
日光・二荒山神社
日光・二荒山神社 
濃霧に覆われた金精峠を越えると、少し視界が広がりだした。湯の湖畔へ着く頃は雨も止んでキリの中から湯の児
が姿を見せ始めていた。火山による堰き止め湖だ。湖水に立つ数本の白い枯れた木や、葦に似た草の中にボートが浮かぶ。
湖畔には日光湯元温泉がある。
 湯の児へと流入する渓流 湯本温泉
●戦場ヶ原
男体山(別名 二荒山ふたらさん)の西側、標高約1,400mに広がる平坦地。男体山の噴火によってできた湖沼群だ
ったが、長年にわたり土砂が流入し、湿原になった。その昔、男体山と赤城山の神様が争ったという伝説から
戦場ヶ原と名が付いた。さまざまな動植物の宝庫として知られる。木道の遊歩道がある。
 戦場ヶ原 戦場ヶ原から男体山
●中禅寺湖
同じ男体山の堰き止め湖、その母体ともいえる男体山を湖面に映す、標高1,250mという高地に
ある日本を代表する湖のひとつだ。湖上にはヒメマスやニジマス釣り、遊覧船での湖上巡りができる。
湖畔には、湖の名の由来となった中禅寺が有る。
 男体山(二荒山)が似ず海に影を落とす。 中禅寺
●竜頭の滝・華厳の滝・裏目の滝
竜頭の滝は、男体山の活動末期に噴出した軽石が形成したもの。大岩を噛むよう豪快な流れから竜の頭という名が付いた。 国道から少し離れた駐車場から約500m、渓谷沿いを歩く。かつては滝の裏側から水の落ちるさまを見ることができたが、
明治35年(1902)滝の上部が崩壊し、いまは裏側から滝を見ることはできない。
華厳の滝 竜頭の滝
華厳の滝
は中禅寺湖から流れる唯一の流出口、大谷川にある滝。高さ97mの絶壁から落下、中段部分から十二滝と呼ばれる
伏流水が流れ落ちる。直下滝と相まって壮大な景観をみせている。轟音とともに豪快に上がる水しぶきに、虹を見
ることもある。
華厳の滝を後に、いろは坂を下り日光街道(国道119号線)を辿り宇都宮市内へと入る。ロマンチック街道の終点で
あり、始まりでもある宇都宮市内には、戊辰戦争(1868)の戦火で失われた。
宇都宮城の本丸の土塁と櫓が平成19年(2007)復元されていた。
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