スペイン、ラ・マンチャに遊ぶ

ドン・キホーテのふるさと


 マドリッドの南に広がる大平原、カスティーリャ・ラ・マンチャ地方の旅はドン・キホーテと切り離すことはできない。セルバンデスの小説はこの広大な平原のどことは決めかねるラ・マンチャの住人たちの物語だ。
黄昏の騎士キホーテをその従者サンチョ・パンサと、やせ馬ロシナンテとともにユーモラスに描いているが、そこには皮肉もたっぷりあって、読みこなすのは容易ではない。が、マンガや映画などで馴染んでいるせいもあって、この物語のあらすじはご存知の人も多いはず。
ラ・マンチャとはアラビア語で「乾いた大地」。その名の通り赤茶けた大地に雨の少ない土地のしか育たないぶどうやオリーブが栽培されている荒涼たる平原だ。
そこには白い家と風車が点在し、ドン・キホーテの世界を彷彿とさせる風景が広がっている。




マドリッド(Madrid)-トレド(Torledo)-コンスエグラ(Consuegra)-プエルト・ラピセ(Puerto Lapice)-アルカサール・デ・サン・ファン(Alcazar de S.Juan)-カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)-エル・トボソ(El Toboso)-コルドバ(Cordoba)
全行程 約500km 2泊3日






●トレド(Torledo)へ

スペインの首都マドリッドからトレドまでは約70km。まだ高速道路には昇格していないが、すばらしい自動車専用道路だ。平坦な小麦畑の道の中に幾分起伏が続いたりする道を一気に走る。
クレタ島生まれの画家エル・グレコが生涯のほとんどを送ったころと同じ中世の町をそのまま今に残すトレドは、シーズンを通して観光客の姿でいっぱいだ。8世紀初頭から約400年にわたってイスラム教徒に支配された町は、イスラム文化の影響を大きく受けている。
カテドラルやアルカサルのある旧市街は狭い道が入り組み、両側には古い建物がぎっしり並び、その上駐車場もほとんどないので、徒歩で観光することをすすめたい。

●コンスエグラ(Consuegra)

トレドから約70km、県道400号線のぶどう畑の道をひたすら南下すると、道路沿いにやせ馬ロシナンテにまたがったドン・キホーテの標識が見えて来る。
このあたりから遠くの丘の上の風車と古城が望まれる。絵になる風景だ。褐色の丘の上に点々と並ぶ風車は全部で9基、古城は12世紀のもの。
やがて道は丘の上へと続き、古城の脇を抜け頂上に着く。振り返ると9基の風車と古城が絶妙なバランスで、見る者を中世の世界へ誘う。とくに褐色の大地と白い風車小屋を赤く染める夕暮れ時がドン・キホーテの世界を見るのが最高とされている。
帰路、狭い道を丘へと上ってくる大型観光バスとすれ違う。トレドから日帰りツアーでやってくる人たちだった。

●プエルト・ラピセ(Puerto Lapice)

マドリッドから約130km、コルドバへと延びる幹線自動車道沿いに“ドン・キホーテ”と書かれた看板があった。


標識に従って右折し、2kmほど入ると鉄で作られたドン・キホーテ像があり、わずかな土産物屋とレストランがあった。
道路上の“ドン・キホーテ”の看板はこのレストランのものだが、ここはただのレストランではない。作者セルバンテスが何度も泊まったという旅篭だ。ここでドン・キホーテが騎士の称号を受け取る儀式を作品に描いている。
建物の中ではドン・キホーテやサンチョスなどのグッズやラ・マンチャワインが売られている。

●アルカサール・デ・サン・ファン(Alcazar de S.Juan)

ラ・マンチャ地方の鉄道の要衝であるとともにラ・マンチャ地方の観光の基点ともいえる。
またアルカサールはこの地方では少ない、銀行やレストラン、バー、宿などが建ち並ぶ駅前通りがある。両替や食料購入などはここで済ませておきたい。
スペインに限らずヨーロッパの田舎では、レストランやスーパーマーケットなどは少ない。その上、長い昼休みや閉店時間が早いので、車の旅行は必ず一食分ぐらいの食料と水などの飲み物は常に用意しておきたい。日本のようにどこにでも自動販売機はないのだから。
この町の広場にもやはりドン・キホーテの像がある。白壁の家、羽根の壊れた風車があるだけで観光地というわけではないが、ラ・マンチャらしい風景に出会える素朴な町だ

●カンポ・デ・クリプターナ(Campo de Criptana)

アルカサールの町から約7km、白い家並み、乾いた褐色の大地、白い雲が浮かぶ丘の上にの10基の風車が並ぶ。
巨人プリアレオとまちがって「逃げるな、臆病者め」と叫びながらドン・キホーテがやせ馬ロシナンテにまたがって、この風車に突進するという有名なシーンのモデルになったところがここ。
物語には32基もの風車があったという。この地方に粉引き風車ができたのは16世紀の半ば。風車の中の1基は当時の状態が復元され、その仕組みなどが見学できる。
ラ・マンチャ地方を旅するとなると交通の便は悪い。バスツアーなどの場合は問題ないが、個人旅行者は、自由に移動できるレンタカーがもちろんおすすめだ。しかし、どうしても列車の旅にせざるを得ない人の場合、訪ねやすい風車のある村はここだけだ。それだけ観光客の姿も多い。

●エル・トボソ(El Toboso)

アルカサールから約27km、カンポ・デ・クリプターナから約20kmやせた大地の田舎道を走る。
みどころは世界各地から寄贈されたドン・キホーテの本が集められた図書館とドン・キホーテが心をよせた娘ドゥルシネアが住んでいたという家。
もともと物語は実在人物を描いたというわけではないが、後にあたかも実在していたかのように作られていくことが多い。ドゥルシネアの家とされるところには、物語に描写されていたように彼女の寝室や調度品まである。あれこれ詮索はともかく、当時の屋敷やその生活が見られるだけでも面白い。

●コルドバ(Cordoba)への道


マドリッドからからコルドバへ向かうE5号線の幹線道路から少しう。

そこには荒涼たる大地に点在する白壁の家々、風車といったドン・キホーテの世界を南へと下りラ・マンチャの旧都アルマグロ(Almagro)とへと入る。
スペイン全土を支配していたイスラム教徒を撤退に追い込んだ攻防戦の基地であったここアルマグロは、やがてカラトゥラーバ騎士団の本拠地となった。
当時の騎士や修道士の邸跡を残し、かつての野天劇場やカラトゥーバ修道院などみどころがいっぱいある。また、中世の家具調度品を備えた国営宿パラドールがある。

再びE5号線へ戻ってコルドバへの道を辿る。約200kmの道のりだが、褐色の山肌とオリーブ畑の峠を越えサンタ・エレナ(St・Elena)の町で一休みしよう。ここには鹿料理専門のレストランがある。眺めもよい。
峠を越えると、コルドバ(写真上右)までの道沿いには夏はヒマワリ畑がどこまでも続く。黄色に染まった大地と紺碧の空、光輝く太陽、スペインの魅力を惜しげもなく見せてくれる。


スペインの田舎道



アンドラ公国 (アンドラ公爵領国)はフランスとスペインの国境にまたがるピレネー山脈の真ん中にある人口約5万人というミニ国家。国民への課税はなく、関税もない国。世界中の品物が免税で買えるというこの国は、ヨーロッパ各地からの買い物客が年間1,000万人も訪れるという。また、ピレネーの雄大な自然をも楽しめる。
ピレネー山脈を越えると広大なイベリア半島のほとんどを占める日本の約1.3倍もの面積を持つスペインだ。
ヨーロッパの先端、そして地中海の海を隔ててアフリカ大陸と近く、古くからさまざまな人種や文化を迎え入れてきた歴史を持つ国。紀元前11世紀ごろからイベロ族、フェニキア人、ギリシャ人、ケルト族などが次々に侵入、その後カルタゴ、ローマ帝国に支配されてきた。いまでもこのイベリア半島のあちこちにはローマ時代以降の遺跡を沢山見ることができる。

(フランス、アンドラのサイトと一部重複します。)

スペインといえば太陽の輝く地中海沿岸の明るい風景を思い浮かべるが、内陸の大陸性気候の乾いた土地や緑豊かな北部と、異なる気候や人々の生活も変化に富んでいる。
ここでは大都市をはずして、スペインのこうした田舎をドライブしながら、歴史や自然人々の生活を紹介したいと思う。


スペインの田舎道

ゥールーズ(Toulouse、フランス)よりN20(国道)-アンドラ(Andprra)[ピレネー山脈越え]-バルセロナ(Barcelona)-アウトピスタA7(Autopista高速道路)-バレンシア(Valencia)-N322(国道)-コルドバ(Cordoba)





●アンドラ国境へ

フランス・トゥールーズを出てN20(国道)をアンドラ国境を目指して南へと走る。約70kmでいままで平坦だった麦やぶどう畑の先に、まるで黒い雲が湧き出たように巨大なやまなみが見えてくる。この山の麓には、有史前の洞窟画が描かれたニォー(Niaux)の鍾乳洞がある。深い洞窟の奥には牛や鹿などの動物が顔料で力強く描かれ、スペインのアルタミラと並んで、貴重なもの。このあたりから道は狭くなり、標高を上げていく。この山道にはガソリンスタンドがない。だが、フランス側から上る車は、国境までは皆我慢だ。アンドラは免税国、ガソリン代はフランスの約半値なのだ。

トゥールーズからアンドラ国境まで約130km。山麓から約50km。安いガソリンやワイン、たばこの日用品から日本の電気製品をはじめ世界中の安いブランド品を求めて、休日やバカンスシーズンはフランスやスペインからやってくる車でアンドラを貫く一本の道は大渋滞となる。鉄道はないので交通はマイカーとバスだけ。

●ピレネー山中ドライブ

アンドラに入ると高山植物の可憐な花々が咲き乱れる標高2,000mをこえる山がつらなり、スキー場のリフトがいくつも見えた。さっきまで濃い霧に視界をさえぎられていたが、国境のゲートをくぐると、吹き上げる風とともに霧が流れ、雄大なカールを描いて3,000m級の山々が姿を現した。
まだ残雪を残す岩山とその美しいカールは日本アルプスの穂高を思わせるが、規模ははるかに大きい。道はこのカールの谷底を目掛けて急なカーブを描きながら下っていく。眺めのよいところには何ヶ所か駐車スペースがある。時間があれば近くをハイキングするのもよい。

●首都アンドラ・ラ・ヴェラ(Andorra la vella)

フランス国境からN145(国道)約40km、ピレネー山脈の深い谷あいに石造りの家々が軒をならべるという、一国の首都のイメージとはかけ離れたこじんまりとした風景は、まるで箱庭のようだ。人口5万人の多くはこの周辺に住む。
国民は信仰深いカトリック教徒で、町には古く素朴なロマネスクの教会もある。近郊各国からの避暑地、観光地として訪れる人も多く、また、免税目当ての買い物客も多い。首都に通じる谷あいの村はこうした観光客のためのリゾートホテル建築が盛んに行われていた。市内のホテルはバス・トイレ付きツインルームで12,000ペセタ(約1万円)と安いが、シーズン中は予約なしでは無理。

スペイン

●カタルーニャ(Catalunya)地方

アンドラからスペインへの入国へは税関検査がある。検査といっても全部の車を止めて車内を調べるわけではない。抜打ち検査のようだ。アンドラから無税で大量に酒やたばこを買い込んでいないか。もし大量ならば、税金がかかる、ということだ。国境が取り払われつつあるヨーロッパで、車のトランクを開けさせられるのは珍しいことだがうなずける。

アンドラの西南、地中海に向かって広がる地域一帯はカタルーニャ地方と呼ばれ、1977年中央政権に反発、地方分離運動の末自治権を獲得し、独自の言語(カタルーニャ語)を持つ文化圏である。その中心はバルセロナ(Barcelona)でこの街が生んだ巨匠画家、ミロ、ピカソ、ダリそしてユニークな建築家 ガウディ はカタルーニャの誇りである。
アンドラからバルセロナへ下る道のこの地方のみどころはN260からN152(国道)を辿るとリポール(Ripoll)の町に着く。この町には12世紀建築の回廊の残るサンタマリア修道院がある。そこからC25(県道)を西へ約80kmほどでモンセラ(Montserrat)へ。奇怪な岩の割れ目にへばりつくように建つモンセラ修道院は「黒いマリア像」で有名。このマリア像を目指して12世紀頃からヨーロッパ各地からの巡礼が、いまも続いている

ピレネー山脈を一気に下るとスペインの乾いた広大な大地が広がり、わずかな高台には教会の尖塔を中心に赤茶色の屋根を持つ集落がある。その規模は大小さまざまだが、狭い路地に肩を寄せ合って、外敵から町や村を守った歴史が感じられる。
こうした地方の町や村を結ぶ街道沿いにはドライブインはもちろんのことレストランや宿も少ない。レストランなどの施設のある町にはナイフとフォークやベッドなどの絵で表された標識(写真)があるが、たいていは街道から離れた町村にある。田舎道の長距離ドライブは、飲み物は絶対に持参すること。食事はレストランでは2時間ほどかかるので、時間のない人は簡単な食べ物も用意すること。

●タラゴーナ(Tarragona)



バルセロナより約100km西、地中海に面した町タラゴー
ナは紀元前3世紀ころから、ローマ植民地として、イベリア半島の勢力の拠点として栄えてきた。現在は
黄金海岸コスタ・ドラダの中心地として別荘やリゾートホテルが並ぶ。とくに「地中海のバルコニー」と呼ばれる海に突き出た見晴らしの良い散歩道は、シーズン中は、ヨーロッパ各地からのリゾート客で賑わう。
町の中には古代ローマ遺跡が数多く残る。みどころはロマネスク様式とゴシック様式の混交の風格ある大寺院。海岸沿いにあるローマ競技場。一見の価値のあるものはローマ時代の水道橋だ。ここは市内から6kmの山の中にある。

●バレンシア(Valenci)経由コルドバ(Cordoba)へ

あいにくの曇り空の下、高速道路アウトピスタA7を一気にバレンシアへ約250km飛ばした。そしてバレンシアの町を迂回して内陸へ入ると、黒い雲のすぐ向こうに青い空が広がり、その先のずっと遠くまで空は青い。バレンシア地方はオレンジの産地。どんどん明るさを増す空のもとに、どこまでも続くオレンジ畑の中を走る。
バレンシア市を真西へ約50km。首都マドリ-ド(Madrid)方面への道と分かれて、N322(国道)をコルドバへと向かう。ここからコルドバまで約470kmだ。だが一般道路とはいえ最高制限速度は100km。急ぐ旅ならば一日のコースだが、スペインの田舎風景を満喫しながら途中一泊したい。

N322街道はバレンシアからセルバンテスの名作「ドン・キホーテ」の舞台カスティーリャ・ラ・マンチャ地方、そしてフラメンコと闘牛の本場アンダルシア地方を走り抜けていく道だ。
マドリードへの道と分かれて間もなくラ・マンチャ地方に入る。ラ・マンチャとはアラビア語で「乾いた大地」という意味。その名の通り、緑豊かなバレンシアの風景とは異なり乾いた褐色の大地にオリーブ畑ががどこまでも続く荒涼とした世界が広がる。
ドン・キホーテゆかりの風車の町カンポ・デ・クリプターナ(Canpo de criptana)へは分岐点から約100km、最初の大きな町アルバセーテ(Albacete)からN301(国道)をマドリード方面へ約100kmだ。


●食べる

アルバセーテの町の手前30km、小さな村と村の間のわずかなぶどう畑の中に一軒の古い木造の家があった。もうとっくに昼を過ぎているのに、昼食をとるレストランも一軒のパン屋も見つけられなかった街道で、そこに書かれた「レストラン」の小さな文字も見逃さなかった。
間口は狭かったが、ドアの中は広く、幾組かの家族連れが賑やかにテーブルを囲んでいた。すでに午後2時を回っていたが、スペインのランチタイムは午後1時から5時まで。夕食は8時から。
厚い一枚板の黒光りするカウンターや使いこんだ古いテーブルや椅子。蝶ネクタイのボーイに着飾った客。近隣からの客で多くは家族や友人たちのセレモニーが行われるのだという。村人たちの楽しみ場である。炭火焼きのヒレステーキの肉は柔らかく味もよかった。

スペインのレストランはフォークの数で格付けされている。1本から5本まで。5本が最高級で料理の味ばかりでなく、店のサービスや雰囲気も判断基準となる。ただし、最高級といってもフランスほどに格式は重んじないところが、気さくなスペイン風だ。料理のメニューは多様で歴史的、地理的環境、気候人々の気質までが違うように、素材も味付けもことなる。郷土色の強いのが スペイン料理 だ。ヨーロッパといえば肉食が多いと思われているが、古代イタリア、スペイン、ギリシャ人は魚介類や野菜が主な食べ物で、肉食はドイツ以北、北欧の人たちが食べていたもの。フォークの数でのレストラン選びは、財布との相談だが、安くても美味しい。


●泊まる

田舎道での宿探しもなかなか難しい。長距離ドライバーや商人向けの宿はいくつかあったが、バス・トイレ付きのホテルとなると少ない。バレンシアとコルドバのほぼ中間、N322沿いのプエンテ・ジェナーバ(PuenteGeneve)という小さな村で ホテル を見つけた。2階建て10室ほどの宿は1階がレストランとバー(Bar)。観音開きの窓を開けるとオリーブ畑が広がり、窓の下には一頭のロバがつながれていた。実にのどかな光景である。
宿泊施設はそれぞれの設備などによって、ホテル(Hotel)、オスタル(Hostal)、ペンシオン(Pension)、フォンダ(Fonda)と分けられ、いずれも星の数で格付けされている。最高は星が5つだが、バスタブ付きは星3つ以上。一般にスペインのホテルは安い。ただし都市はあまりあてはまらないが‥。

一度は泊まってみたいのがパラドール・ナシオナル(Parador Nacional)。国営のホテルで全国84ヶ所ある。国営といってもかつての古城や館、修道院などを改造したもの。ほとんどは星が3つか4つ観光地やリゾート地にもあるが、歴史的建物を利用したものの多くは町から離れた昔の街道沿いや山の中にある。車の旅だからこそ、気軽に贅沢に楽しめる。シーズン中は早めの予約が必要だが、6月ごろまでと、10月以降は当日でもだいたい部屋はとれた。パラドールめぐりというスペイン旅行をする人がいるぐらいだから、やっぱり一度は泊まってみたい。


●スペインのヒマワリ畑

コルドバへあと150kmというあたりから、黄色い大地が現れた。と思う間に、いまが盛りとばかり咲き誇るヒマワリの花畑がどこまでも広がっていた。コバルトブルーの大空と黄色い大地、この見事な色彩のコントラストは、まさに情熱的だ。いくぶん起伏はあるが、真っ直ぐに延びた往復2車線の田舎道の両側に続くヒマワリ畑。その遠くには教会の尖塔があったり、この地方独特の白い家が黄色いヒマワリの中の浮かぶ。また、まだ実のつかないトウモロコシの青々とした畑が彩りをそえる。車を走らせては止め、止めて眺めてはまた走らせながらコルドバの町へと入って行った。

●コルドバ(Cordoba)

かつてコルドバは北アフリカを含むイスラム世界の中心であった。東のイスラム教国の中心地バグダッドに対し、西のイスラム教主カリフの宮廷所在地として、10~13世紀に栄えた。当時は300を超えるモスクがあったといわれているが、8世紀に着工され、その後も後継者にとって増築されてきたモスクメスキータ(Mezguita)がその面影をいまに伝える。堂内には大理石、縞メノウ、花崗岩で造られた円形のアーチが850本で線条細工のアラベクス模様は実に美しいものだ。また、アラビア様式のアーチにキリスト教の礼拝堂もある。
コルドバにはこのほか、グアダルキビール川にかかるローマ橋や14世紀の宮殿やアラブ様式の庭園、それに旧ユダヤ人街などみどころがいっぱいだ。
夏のコルドバはアンダルシアのフライパンといわれるほど暑いので、暑さ対策を忘れずに。