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▼あらすじ![]() 皇位に就いた二条天皇にも近づく天皇親政派が集まる。故・鳥羽院と美福門院が二条天皇を皇位に就かせると決めたときに、一時的に後白河院を即位させた政治的な動きが、尾を引き落ち着かない世情となっていた。そこには保元の乱でたっぷりと恩賞を受けた平家と冷遇された源氏、義朝には不満があった。信頼は大将への精進を信西に阻まれたことをきっかけに天皇親政派を抱き込んで決起したのだった。 乱は一歩距離を置く平清盛が熊野参詣に出掛けた五日後の九日に起こった。信頼と源氏が組んだ反乱軍は、上皇御所の三条殿を襲い、院を幽閉した。火災が発生して御所は焼けた。信西は逃亡したが見つかって十七日には首が獄門にさらされた。こうした都の状況を聞いた清盛は、熊野から六波羅へと戻り、反乱に批判的な公卿達が、清盛と組んだ。裏切り、寝返りなど、混乱のうちに天皇、上皇は宮中脱出に成功した。 合戦は平氏軍と反乱軍が戦い、清盛が勝利。義朝は東海道を東国へと落ちて行った。義朝は途中で部下に裏切られて殺され、十三歳だった頼朝は都へ連れ戻されたが、清盛の義母、池の禅尼に助けられ、伊豆へ流された。義朝の愛妾・常葉は、乳飲み子の牛若を抱き、六歳と八歳の子を連れて落ちて行く話しは、義経の話題には欠かせないエピソードとなっている。 常葉は母が捕らえられたために、身を隠していた大和から、清盛の前に出頭。清盛の道場を買ったあたりは、平治物語のハイライトと言うべきだろう。清盛が常葉の魅力に惹かれ、そのl子供達を許すことになった後に、頼朝の挙兵から義経率いる源氏軍団と平家の戦い。そして平家滅亡への話しは、平家物語に詳しい。 以下、本文(上)へ。 |